名古屋高等裁判所 平成2年(う)4号 判決 1990年10月08日
本籍並びに住居
愛知県渥美郡田原町大字田原字南番場四六番地の九
会社役員
天野孝二
昭和五年一月一日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成元年一二月八日名古屋地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から適法な控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官森統一出席のうえ審理して、次のとおり判決する。
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年六月及び罰金八五〇〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
この裁判の確定した日から四年間右懲役刑の執行を猶予する。
当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人桑島浩名義の控訴趣意書及び控訴趣意の補充書に、これに対する答弁は、検察官森統一名義の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。
一 事実誤認の論旨について
所論はるる主張するが、要するに、原判決が罪となるべき事実として認定した被告人の各年度の総所得に含まれる有価証券売買取引に基づく所得中には、被告人が昭和五五年頃までに家族に贈与した株式とその後これらが買い替えられて増加した株式並びにその後にも家族に贈与した株式の売買取引に基づくものであって、それぞれこれらの家族に帰属すべき所得が混入しているから、原判決には事実誤認があり、この誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というものであると解される。
所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、原判示の事実は、その挙示する証拠に照らして優にこれを肯認することができ、原判決に所論のような事実誤認があるとは認められない。
すなわち、原判決が被告人の総所得に含まれるとした家族名義の有価証券の売買取引に基づく所得が被告人に帰属する事実は、被告人も被告事件についての陳述においてこれを認めて争っていなかったものであり、それゆえ原審は本件を簡易公判手続で審理したものであるが、また、右事実は、原審で取調べた関係証拠により優に肯認することができるのである。ところで、被告人が昭和五五年頃税務調査を受けた際に指摘を受け、「贈与税申告書」を提出し、当該贈与税を支払った株式等については、税務当局により、その当時、右の贈与を受けた家族の財産として取り扱われ、被告人の財産と区分されたこと、そしてこれらの株式等の売買取引に基づく損益は、被告人がその後自己単独の判断と才覚によって継続的に売買を行ったものについても、本件ほ脱が問題となっている各年度に至るまで被告人の所得計算から除外されていることが証拠上明らかである。この点につき、所論は、右株式等以外にも家族の名義となっている株式等があることは、前記の贈与税を支払った昭和五五年頃の前後の長期間にわたって、他にも被告人から家族に贈与した株式等があったことを示すものであり、本件被告人の所得にはこれらの家族の株式の売買による所得も混入していると主張するのであるが、単に株式の名義が家族のものとなっているからといって直ちにこれらが被告人から当該家族に贈与されたものということはできないことは勿論であるのみならず、前記のとおり、被告人は、贈与税を支払い、家族に贈与したものと認められたもの以外の分は家族名義の株式であっても総て被告人に帰属することを認めて争っていなかったのであるし、また、実質的に所得帰属の判断の際に基準となるこれらの各株式等の取引の意志決定、資金の出所、損益の管理、処分などをみても、総て被告人自身が処理していたことが証拠上明らかなところであり、原審で取調べた関係各証拠を総合すれば右事実を肯認できるのである。更に、当審における事実取調べの結果を加えても、これを左右するに足りる証拠はないのみならず、かえって、当審証人伊藤君夫の供述によれば、被告人は、本件で査察を受けた際、査察官に対し、昭和五五年頃豊橋税務署の税務調査を受けたときに家族名義とした株式等について指導を受け、当該家族に贈与したものとする分についてはその頃贈与税を申告して支払ったが、右の申告分が家族に贈与した株式等の総てである旨の説明をして、これらを被告人の所得計算から除外するように求めたものの、その他は総て家族名義の株式であっても被告人に帰属するものに間違いなく、国税当局においてそのように取り扱われることに何等異議がない、との態度を表明していたことが認められる。所論のような主張は当審において初めてなされるに至ったものであるが、これに沿う当審における被告人の供述等は前記関係各証拠に照らして到底措信できない。結局、所論は採用できない。その他所論にかんがみ、証拠を精査しても、原判決に所論の事実誤認があるとは認められない。論旨は理由がない。
二 量刑不当の論旨について
所論は、要するに、被告人に対し懲役と罰金を併科した原判決の量刑はその刑期、金額のいずれの点でも重過ぎ、ことに懲役刑の執行を猶予しなかった点で不当である、というのである。
所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して考えるに、本件は、被告人が、自己を代表者とする会社の本業である水道施設工事業の経営者としての収入等のほかに、個人として継続して行っていた有価証券の売買による所得があったのに、右有価証券取引に基づく所得を秘匿し、昭和六一年度二億一六八〇万八一〇〇円及び同六二年度二億四一八二万九三〇〇円合計四億五八六三万七四〇〇円の所得税をほ脱したという所得税法違反の事犯で、そのほ脱額が巨額であること、ほ脱率が昭和六一年度については九九・九パーセント、昭和六二年度については九九・八パーセントといずれも一〇〇パーセントに近いこと、借名口座を用いて所得の分散を仮装していること、更にはこのような脱税行為が一般の誠実な納税義務者に与える影響等をも総合考察すれば、被告人の罪責は甚だ重いといわなければならず、被告人に対し罰金刑とともに懲役刑の実刑を科した原判決の量刑も理解できないわけではない。
しかし、更に詳しくみると、もともと株式等の有価証券売買益に課税する制度は、過去幾多の変遷を経ているものであって、多くの問題をはらんでおり、本件当時、原則非課税の例外として、一定の基準を超過し、継続的取引とみなされる売買の利益等について課税されていたものであるが、基準の取引回数、株数を超過すると、そうでなければ非課税であった取引によるものを含めて全額が課税対象となるとされていたため、ひいて前記のようにほ脱額がぼう大なものとなり、かつ、ほ脱率が高くなったものであること、本件犯行態様をみるに、ほ脱所得の殆どを占める有価証券売買益につき、前記借名口座数は、所得隠匿の意図によるものとは認めがたいNTT失権株取得の分を除けば、家族、親戚等の僅か数名に止まり、いずれも実在の人物で、このうち二名にはその評価はともあれ借名につき了解を求めていること、右の借名による取引は、これらを併せても、被告人本人名義のそれの回数、金額に比すれば微々たるものであって、借名口座による取引はもとより被告人本人名義の取引も、単独では右の課税要件を充たさないものであったこと、本件の摘発を受けるや被告人は借名口座を是正して自己名義に戻すとともに、査察、捜査に進んで応じて、事実関係の解明に協力したのであり、脱税の事実を覆い隠すような何らの罪証湮滅工作をしていないこと、本件発覚後間のない昭和六三年一二月金一億円を予納したのを含めて、持株を売却処分して、平成元年三月までに本件ほ脱にかかる本税並びに重加算税、延滞税など附帯税の一切を完納していること、被告人には全く前科がないこと、過去において被告人は所轄税務署で二度にわたり優良納税者として表彰を受けていること、被告人は本件を深く悔い、今後の適正な申告納税を誓約し、反省の態度が顕著であること、その年齢、高血圧、狭心症を患っている健康状態などを総合考察すると、原判決の量刑は、懲役・罰金の刑期・金額の点では是認すべきであるが、その懲役刑の執行を猶予するのが相当であると考えられる。論旨は理由がある。
よって、刑訴法三九七条一項、三八一条により、原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において更に判決する。
原判決が認定した事実は、いずれも所得税法二三八条一項に該当するので、所定刑中懲役刑及び罰金刑を併科することとし、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の重い原判示第二の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により原判示各罪所定の罰金額(情状により所得税法二三八条二項を併せて適用する。)を合算し、その刑期及び金額の範囲内で、被告人を懲役一年六月及び罰金八五〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、前記の情状により同法二五条一項を適用してこの裁判が確定した日から四年間右懲役刑の執行を猶予し、当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 本吉邦夫 裁判官 上本公康 裁判官 前原捷一郎)
平成二年(う)第四号
控訴趣意書
被告人 天野孝二
右の者に対する所得税法違反被告事件について、左記のとおり控訴の趣旨を陳述する。
平成二年二月一六日
右弁護人
弁護士 桑島浩
名古屋高等裁判所刑事第二部 御中
記
目次
第一、緒論
第二、刑事訴訟法第三八二条に該当する事実誤認ならびに同法第三八一条に該当する刑の量定不当があること
1、原審で被告人に対し脱税の常習者であるかのごとき誤つた誹謗がなされたことについて
(1) 昭和六〇年における被告人の株式売買では損失が出たこと
(2) 原審の論告において検察官は、被告人が以前から脱税を繰り返し、昭和六〇年にも三、七〇〇万円余の利得を秘匿していたかのごとき誤つた誹謗をしていること
(3) 過去に被告人が脱税をした事実はないこと
(4) 原審裁判所は検察官の誤つた論告の影響を受けて不当に厳しい量刑をしていること
2、家族名義株式の損益の帰属について
(1) 家族名義の株式は過去一〇年以上の期間中に被告人から何回かにわたつて贈与されて蓄えられていたものが多数存在していた(その中の可成りのものについては贈与税も納付されている)こと
(2) 家族名義の取引により新たに取得した株式の大部分は家族に贈与した株式の買い替えないしは運用によつて生じたものであり、残りは新規の贈与に当たるものであること
(3) 取引回数を少なくして脱税するために家族名義を使用する必要はなかつたこと
(4) 原審裁判所は家族名義の株式の売買による利益のすべてを被告人のほ脱行為による所得と誤つて認定し、このように誤つた認定にもとずいて不当に厳しい量刑をしていること
3、他人名義の使用について
(1) 使用された他人名義の数および他人名義による取引の回数がいずれも少なく、かかる取引によつて上げた利益の額はごく僅かなものであること
(2) NTT株式の取得(殆んどが失権株を取得したもの)にまつわる他人名義の使用は必ずしも被告人の意図から出たものではなく、またその使用が脱税を計るためのものではなかつたこと
(3) 原審裁判所は「多数の借名口座を用いて株式取引を行つた」もので「犯行の手段・態様も計画的かつ巧妙で悪質なもの」と誤つて認定し、このような誤つた認定にもとずいて不当に厳しい量刑をしていること
4、有価証券の譲渡益に対する所得課税の特異性について
(1) 有価証券の譲渡益に対する所得課税は歴史的にも変動を重ねつつその時々の情勢にしたがい便宜的・政策的に行われてて来ているものであつて、課税の有無、課税所得の範囲ならびに課税の方法において他の所得課税と大いに均衡を失していること
(2) 本件において税務当局が算定した各年度の課税所得額は他の所得課税において算定される所得額に比べ過大であること
(3) 被告人が四億円を超える巨額の所得税をほ脱したものと原判決が認定しているのは誤つており、ほ脱税額は僅少なものであること
5、本件と同種事案に関する判例からみた量刑の不当性について
(1) 検察官提出にかかる判例(検甲第31号~41号証)はいずれも不適切であること
(2) 本件と同種事案に関する適切な判例が他にいくつか存在すること
(3) 他の同種事案に関する判例からみても本件における量刑が不当に厳しすぎること
第三、刑事訴訟法第三八二条の二第一項に該当する事実があること
1、第一審の弁論終結前に取調べを請求することができなかつた証拠によつて証明しうる事実(主として情状に関するもの)について
(1) 本件における株式売買取引の態様が、決して原審の認定するごとき「計画的かつ巧妙で悪質なもの」ではなかつたこと
(2) 被告人は過去において豊橋税務署から優良納税者として二度も表敬されているほか、被告人が行つた社会的な貢献に対して多数の表彰状や感謝状が同人に与えられていること
(3) 本件の原審判決の結果に対し在郷の各層の人々から刑の軽減を求める嘆願がなされていること
2、第一審の弁論終結前に証拠の取調べを請求することができなかつた理由について
(1) 国税当局による調査が進む過程において、銀行、証券業者ならびに税理士から、「起訴され有罪になつても必ず執行猶予がつく」と言われたこと
(2) 国税当局の査察担当官からも「執行猶予がつくことは間違いない」と教えられたこと
(3) 被告人は狭心症を患つておりしばしば発作が起こることから、周囲の人および査察担当官から聞いた「必ず執行猶予がつく」との言を信じ、実刑にならない限り多少の不利は甘んじても争うことにより興奮して血圧が上るような事態を避けたいと考えて、国税当局の見解に対して論争せず、また原審の公判においても事実関係の争いを控えるとともに情状に関する証拠の提出も控え目にしたこと
第四、結語
1.量刑が軽減されるべきことについて
2.執行猶予が付されるべきことについて
第一、緒論
原審裁判所は「被告人を懲役一年六月及び罰金八、五〇〇万円に処する。右罰金を完納することができないときは金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する」旨の判決を下したのであるが、その量刑は執行猶予を付していないことを含めて重きに失するものであり、右判決は左にのべる量刑不当ならびに事実誤認の理由にもとずき破棄されるべきである。
第二、刑事訴訟法三八二条に該当する事実誤認ならびに同法第三八一条に該当する刑の量定不当があること
1.原審で被告人に対し脱税の常習者であるかのごとき誤つた誹謗がなされたことについて
(1) 昭和六〇年における被告人の株式売買では損失が出たこと
被告人の昭和六〇年の株式売買において損失が出たことは、被告人に対する名古屋国税局の調査が開始された当初に同人の取調担当官に対して申述しており(検乙第三号証質問てん末書問一の記載参照)、その後の国税当局の調査の結果によつても被告人は同年の株式売買により金三、五九〇余万円の損失を蒙つたものと認定されているのである(検甲第二号証脱税額計算書説明資料の二ページ損益の部の昭和六〇年犯則所得合計欄に損失であることを示すカツコと△を付した三五、九一六、〇三六円なる数値が記載されていること参照)。
後に述べるように、右認定金額は被告人の家族名義の株式の売買による損益をも被告人に帰属するものとして計算している点で妥当ではなく、しかも税務当局が本件のごとき継続的取引とみなす有価証券の売買益につき用いる特殊な算定方法によつて算定したものであつて、実際生じた損失額よりも低い金額になつているのであるが、いずれにしても同年における被告人の株式売買で損失が出たことは争う余地のない事実である。
(2) 原審の論告において検察官は、被告人が以前から脱税を繰り返し昭和六〇年にも三、七〇〇万円余の利得を秘匿していたかのごとき誤つた誹謗をしていること
しかるに原審の検察官は被告人の昭和六〇年の株式売買において金三、七〇〇万円余の利益が出たものと誤解し、その論告において「被告人は以前からほ脱を継続して行つており、昭和六〇年度においても三、七〇〇万円余りの所得を秘匿していたもので、本件は氷山の一角と言うべきである」と述べたのである(平成元年一一月九日付検察官論告要旨一丁裏末尾の行以下参照)。
これは大変な誤解にもとずく論告と言わなければならない。
もし昭和六〇年度において被告人が所得を秘匿していたとするならば国税当局は同年度の所得についても本件で告発した昭和六一年分および同六二年分とともに告発しない筈がないからである。
(3) 過去に被告人が脱税をした事実はないこと
被告人は昭和六〇年以前の株式売買について課税さるべき所得がありながら納税を怠つたということは一度もないのである。
したがつて検察官は昭和六〇年に課税所得があつたと誤解したのみでなく、被告人がそれ以前から常習的に脱税を行つていたものと誤解して右に述べたごとき論告を行つたものと思われる。
これもまた看過しえない誤解であり、右論告は無根の事実をもつて不当に被告人の人格を誹謗するものにほかならない。
(4) 原審裁判所は検察官の誤つた論告の影響を受けて不当に厳しい量刑をしていること
原判決中には被告人が常習的に脱税を行つたものと認定している具体的な文言は見当たらないが、検察官による右論告の内容が被告人の人格的悪性を強く印象づけるものであるだけに、情状を判断する上においてこれが原審裁判所に大きな影響を及ぼし、その結果執行猶予を付すべきでないと判断するに至らしめたものと推認するに難くない。
したがつて後述するところの他の理由をまつまでもなく、右理由のみによつても、原判決の量刑は重きに失し不当なものだと言えるのである。
2.家族名義株式の損益の帰属について
(1) 家族名義の株式は過去一〇年以上の期間中に被告人から何回かにわたつて贈与されて蓄えられていたものが多数存在していた(その中の可成りのものについては贈与税も納付されている)こと
本件で問題とされている被告人の子天野晶子、同英一郎、同裕二郎、母同ながの各名義の株式は、いずれも昭和四八年以前から昭和五九年頃までの一〇年余の期間中に年々被告人から贈与されたものが蓄えられていたものであつて、同五三年当時すでにかなりの銘柄と数量のものが存在しており、贈与税も支払われていたことが国税当局の調査によつて見出された被告人の提出にかかる贈与税申告書の記載から判明し(検乙第三号証質問てん末書第二問の記載参照)、さらに被告人の自宅で国税当局が差押えた「財産管理」と題するノート中のメモの記載により、昭和五九年五月九日現在における被告人および同人の家族名義の株式の銘柄、株式数、価額の全容が明らかになつたのである(検乙第三号証質問てん末書第七問の記載および同てん末書の末尾に添付された資料参照)。
同メモの記載によると昭和五九年五月九日現在被告人および同人の家族名義の株式として左のものが存在していたことが分る。
<省略>
(2) 家族名義の取引により新たに取得した株式の大部分は家族に贈与した株式の買い替えないしは運用によつて生じたものであり、残りは新規の贈与に当たるものであること
被告人は昭和五九年以降においても以前に行つて来たのと同様に家族名義の株式の一部を売却して他の有利な株式に買い替えるなど家族名義の資産を運用しており、その結果家族名義の株式の銘柄、数量がその後多少変化しているが資産内容としては増えているのであつて、家族名義で新たに取得された株式はその殆どがこのような運用によつて取得したものかあるいは被告人により新たに贈与されたものである。
(3) 取引回数を少なくして脱税するために家族名義を使用する必要はなかつたこと
後に述べるように、昭和六一、二年当時株式の売買益は原則として非課税であり、例外的に課税の対象となる継続的取引というのも年間の取引回数が五〇回を超える場合であつて、しかも取引回数は同一人が同日中に証券会社に委託して売却ないし購入した株式はその取引銘柄数のいかんにかかわらず一回として数えるものであるから、被告人名義で多数の銘柄を取引することが回数の制約によつて妨げられるわけではない。
したがつて、取引回数の制約を免れるためにこのように多数の家族名義を使用する必要はなかつたのである。
(4) 原審裁判所は家族名義の株式の売買による利益のすべてを被告人のほ脱行為による所得と誤つて認定し、このように誤つた認定にもとずいて不当に厳しい量刑をしていること
したがつて家族名義の株式の取引は被告人が脱税を図るために行つたのだと認定し、同取引による利益を被告人のほ脱行為による所得とみなすのは不当である。
被告人は国税当局の調査で判明した前記贈与税申告書記載の家族名義の株式について、「これらの銘柄は妻や母、子供たちのものとして認めていただきたい。贈与した株式のうち一部の銘柄については私が売却してその資金を運用してはいるが、売却代金はすべて子供達のものである」旨申述しており(検乙第三号証質問てん末書問二参照)、原審の公判廷においても同旨の供述をしているのである。
しかるに国税当局は本控訴趣意書に添付する別紙1の表1に示す被告人の家族名義の株式売買損益を昭和六一年、六二年の被告人の損益として認定し、その分を含めた所得を脱税したものとして告発しており、原審裁判所もその告発内容をそのまま認容した判決を下したのである。
しかしながらこのような告発をすべきではなく、またこのような判決を下すべきではなかつたことは、前述したところからも明らかである。
ちなみに国税当局が被告人の所得として認定した家族名義の株式の売買益は、その多くが昭和五九年以前から家族名義の株式として存在したものの売買益であり(右別紙1の表1の備考欄参照)、国税当局もその作成にかかる関係銘柄の調査資料(検甲第三号証中に含まれているもの)の参考事項欄の記載から分るようにその事実を充分承知していたのである。またその売買益の殆んどすべてが他の株式の購入に当てて運用されていた事実も国税当局が行つた売買取引の内容を調査する過程で分つていた筈である。
国税当局は、それにも拘らず被告人の家族名義の株式のうち被告人の妻天野幸子名義の株式を除いたすべての株式につき、これを被告人に帰属するものと認定し、その所得を被告人の所得中に含めて所得総額を算定しているのであるが、その理由とするところは、被告人の子晶子、英一郎および裕二郎の三名が当局の取調べに対し、「父親から株式を贈与されたことは知らない。また贈与された株式の運用を父親に依頼したことはない。」旨申述したことによるものと見受けられる。原審において検察官も同主旨を立証するため右三名の取調べ調書(検甲第一八~二〇号証)を証拠として提出している。
しかしながら、親子など家族間の贈与については、種々の配慮から贈与の事実を然るべき時期が到来するまで伏せておくことが多く、贈与を受ける者が未成年者である場合には特にそのような配慮をするのが思慮ある父親の常であり、本件における贈与についても被告人はまさにそのように配慮して子供達に贈与の事実を告げなかつたのである。
また、このようにして贈与された株式について、然るべき時期が到来するまでその価値を維持し、ないしはその価値を高めるため運用してやるのも贈与者たるかかる父親が当然なすべき行為である。したがつて子供の知らない間にそのような運用がなされていたとしてもなんら不自然ではなく、怪しむべきことではない。したがつて国税当局は右のごとき理由で家族名義の株式を被告人に帰属するものと認定し、家族の所得を被告人の所得と認定すべきではなく、また原審裁判所もこのような国税当局の認定をそのまま容認すべきではないのである。
原判決(量刑の事情)中には、「国税当局による調査糾明の困難な借名口座を多数用いて株式取引を行つたもの」であり、「犯行の手段、態様も計画的かつ巧妙で悪質なものというべき」だとの認定がなされており、被告人の家族名義で行われた取引をも借名による取引であると解してこのような認定をしたふしが見受けられるが、そのような認定は誤つている。
もし被告人が計画的かつ巧妙に脱税を図つたとするならば、調査によつて容易に判明することが明らかな被告人みずからの名義や同人の家族名義を用いて取引をする筈がないからである。
右に述べたごとく、家族名義の株式の取引にまつわる原審裁判所の認定は誤つており、このように誤つた認定にもとずいてなされた原判決の量刑は厳に失し不当なものだと言わなければならない。
3.他人名義の使用について
(1) 使用された他人名義の数および他人名義による取引の回数がいずれも少なく、かかる取引によつて上げた利益の額はごく僅かなものであること
被告人は確かに近親に当たる奥村和茂および山本和夫の二名の者の名義で昭和六〇年から同六十二年にかけて数回株式の売買を行つているが、その取引回数は被告人みずからの名義で行つた株式の売買の回数に比べると微々たるものである。
国税当局によつて被告人の所得中に含められた奥村和茂および山本和夫名義の株式の売買損益の明細は、本控訴趣意書に添付する別表1の表2に示すとおりであつて、同表の記載からも分るように、右両名の名義による株式の売買損益は、昭和六〇年には存在せず、同六一年には僅か一銘柄で金三四九万余円、同六二年には四銘柄で金一、〇五二万余円に過ぎないのである。
(2) NTT株式の取得(殆んどが失権株を取得したもの)にまつわる他人名義の使用は必ずしも被告人の意図から出たものではなく、またその使用が脱税を計るためのものではなかつたこと
原審において検察官から提出された証拠中には、NTTすなわち日本電信電話(株)の株式購入に際して奥村和茂および山本和夫以外の数名の者の名義を使用した事実に触れているものがいくつか存在するが、このNTT株購入にまつわる他人名義の使用は脱税とは無縁のものなのである。
昭和六一年政府はNTT株を放出して財政赤字の補填を図るために、証券会社を通じて広く国民一般に働きかけ、国民一人当たり一株に限つて申込を受けつけることとして申込みを募つた。
しかしてこの第一次公募では一六五万株が放出されたが、一六五万人の申込を募るのは容易ではなく、証券会社の奨励によつて資力のある申込者は一人で家族や親戚名義を含めた多数の申込みを行つた。被告人も証券会社の勧誘により家族や親戚名義を含め一三株の申込みを行つた。
しかしながら過剰な勧誘の結果申込数が放出株数の六倍に達したために抽選によつて割当てがなされることになつたところ、当選者の中に辞退する者が多数出たために証券会社はそのような失権株の処理に苦慮し、資力のある者に失権株の引受けを要請した。
被告人が昭和六一年末から翌六二年初にかけて購入したNTT株一六株はいずれもこのような失権株を引き受けたものにほかならない。
この失権株の引受けを被告人に要請した野村証券豊橋支店の当時の支店長は被告人に割当てた失権株を当初の申込人名で割当てたものとして処理した結果、被告人のNTT株の購入について右奥村和茂、山本和夫以外の他人名義が登場することになつたのである。
右事情の詳細は新たな証拠として提出する大場栄三作成にかかる上申書中に記載されている。
右述べたところからも明らかなごとく、政府放出にかかるNTT株の購入に際して使用された数名の他人名義は被告人の所得課税を回避するためのものではないのである。
原審で提出された国税当局作成にかかる調査資料中に、その後被告人が行つた株式の売買取引においてこれらの他人名義が使用された事実がまつたく認められないことを見てもこれらの他人名義の使用が脱税の手段でなかつたことが分る筈である。
(3) 原審裁判所は「多数の借名口座を用いて株式取引を行つた」もので「犯行の手段・態様も計画的かつ巧妙で悪質なもの」と誤つて認定し、このような誤つた認定にもとずいて不当に厳しい量刑をしていること右述のごとく被告人が株式取引に使用した他人名義は奥村和成と山本和夫の二名分にすぎず、両名の名義で行つた取引回数もごく僅かであり、しかも同人はこれらの他人名義の口座を証券業者に登録し、かつ業者に同人との関係を明らかにしていたために、国税当局は調査開始後直ちに何ら困難なくしてこれを解明しえたのであるから、原審裁判所が「調査解明の困難な借名口座を多数用いて株式取引を行つた」と認定したのはまつたく誤つたものと言わなければならない。
また右両名の名義を使用したことは非難を免れないとしても、右のごとき誤つた認定を前提として原審裁判所が「犯行の手段・態様も計画的かつ巧妙で悪質なもの」と認定したのは当つていない。
しかしてこのように誤つた認定にもとずいてなされた原判決の量刑は厳に失し不当なものだと言わなければならない。
4.有価証券の譲渡益に対する所得課税の特異性について
(1) 有価証券の譲渡益に対する所得課税は歴史的にも変動を重ねつつその時々の情勢にしたがい便宜的・政策的に行われてきているものであつて、課税の有無、課税所得の範囲ならびに課税の方法において他の所得課税と大いに均衡を失してしること
株式などの有価証券や不動産等の資産の売却益すなわちキャピタル・ゲインに対する税制は幾多の変遷をたどつて今日に至つており、その中でも有価証券の譲渡益に対する課税に関しては改廃を含めた複雑な法の改正が次々と行われてきているのである。
昭和二五年政府は、いわゆるシャウプ勧告にもとずいて有価証券や不動産を含む譲渡益の二分の一を譲渡所得として総合課税の対象としてきた従来の税制を廃止し、有価証券たると不動産たるとを問わず譲渡益を全額総合課税の対象とするように改めるとともに、従来省みられなかつた譲渡損をすべて譲渡益から控除しうる(控除し切れない譲渡損は五年間にわたつて繰り延べを認める)ものと改めた。
しかしながら、この新税制は所得額の的確な把握が困難だということであまり実効が上がらず、また一方で健全な証券市場を育成する必要から有価証券の譲渡益課税に対する反対の声が高まつてきたために、昭和二八年政府はこの税制を改め、有価証券の譲渡益を原則非課税とし、不動産の譲渡益についてはその二分の一を課税するシャウプ勧告以前の税制に戻したのである。
その際原則非課税とされた有価証券の譲渡益のうち、営利を目的として継続的に行う取引によるもののみ例外的に事業所得として課税することが決まつたのであるが、その昭和三六年、同四六年、同五二年、同五五年と次々に行われた税制改正で例外が増えて行き、事業譲渡類似の有価証券の譲渡益と株式の買占めによる有価証券の譲渡益を譲渡所得として課税することが決つたのに続いて、継続的取引から生ずる有価証券の譲渡益を事業所得ないしは雑所得と課税することが決つたのである。
右のごとき変遷をたどつた有価証券譲渡益に対する税制は、周知のごとく昭和六三年の大巾な税制改正により、有価証券の譲渡益を平成元年四月以降原則課税とすることに改められた。
本件で問題とされている売買回数が年間五〇回以上で売買株式数が二〇万以上の場合に課税するというのは、原則非課税とされた時代の例外として課税されたところの継続的取引から生ずる有価証券の譲渡益の課税(旧所得税法第九条一項一一号、旧所得税法施行令第二六条二項)に該当するものである。
しかしてこの制度の下では継続的取引に該るもののうち、施設等を設けて営利を目的とした継続的取引行為と認められる有価証券の売買益は事業所得として総合課税の対象とするが、本件の場合の如く回数および株数によつて継続的取引とみなされる有価証券の売買益は雑所得として総合課税の対象とするのである。
有価証券、特に株式は、不動産等の他の資産と違つて日々その価値が変動し、しかも経済情勢の変動を敏感に反映して大巾な価値の変動を繰り返すものであるから、株式の売買により一時的に利益を上げたとしてもすぐその後の売買で損失を蒙るのが常であり、損失を顧慮することなく利益のみをとり上げて課税するのは妥当でない。
しかも株価が上下に変動する中で、ある者が売買取引により利益を上げればその取引の相手方は損失を蒙つていることになるのであつて、国民全体としてみれば何ら財の増殖のない所からむやみに税をとりたてるのは感心したことではない。
長い間有価証券の売買益を原則非課税としていた裏には課税所得の把握の困難なことのみではなく、右のごとき有価証券の価格変動の特殊性が考慮されていたものと思われる。
このように問題を含む有価証券の譲渡益税制度の中にあつて、本件のごとき継続的取引と看做される株式の売買益に対する課税はとりわけ特異なものであり、他の所得課税に比べ課税負担の点で左に述べるとおり大きく均衡を失しているのである。
第一にこの継続的取引と看做される有価証券の売買益を雑所得とし、当該年度内に生じた有価証券売買の損失は利益から控除することを認めるものの、同年度内に生じた他の所得との損益通算を認めず(所得税法第六九条参照)また年度を超えた損益の通算も損失の繰り返しも認めないために、同種の利益が事業所得などの他の所得として扱われる場合に比べて税負担が過大となり均衡を失している。
第二にその所得額を算定する方法として当該年度中に売却された有価証券の売却価格からその取得価格を控除する方法をとつているために、有価証券やその他の資産の売買益が譲渡所得として課税される場合(前述のごとく有価証券売買益も譲渡所得として課税される場合があるが、その場合一般の譲渡所得と同様に取得後五年以上を経過しているものは長期譲渡所得として売買益の二分の一のみが課税の対象となる(所得税法第三三条三項および同法第二二条二項二号参照)のである)に比べて税負担が過大になり均衡を失している。しかもこの売買益は総合課税の対象とされるので、所得額が増えると累進課税の結果所得税額は極端に大きなものとなつて了うのである。
第三に年間の取引回数が五〇回以上で、取引株数が二〇万以上となつた場合に利益があれば課税が行われるのであるが、その際課税の対象とされる利益の範囲を右基準に達しない取引からの売買益(すなわち本来非課税であつた利益)にまで拡げて課税するものであるから、この課税方法によると基準に達しない取引のみの場合(すなわち非課税扱いの場合)と基準を超えて取引がなされた場合(すなわち課税扱いとされる場合)との間の課税負担が極端に均衡を失することになる。
右に述べたごとく多くの問題を孕んだ有価証券の譲渡益に対する所得課税は前述のとおり昭和六三年の税制改革によつて原則課税と改められ、その課税方法は一部の例外を除き申告分離課税(譲渡益に対し一律二〇%課税)と源泉分離課税(譲渡価額に対し一律一%課税)のいずれかを納税者が選択することになつた。その結果本件で問題とされているところの継続的取引とみなされる株式の譲渡益に対する課税も、新税制の下では右に述べた選択による分離課税が適用されることになつたのである。
(2) 本件において税務当局が算定した各年度の課税所得額は他の所得課税において算定される所得額に比べ過大であること
継続的取引とみなして行なうところの株式の売買益に対する課税が他の所得課税に比べ課税負担の均衡を失し不当なものであることは右に述べたとおりである。
しかして本件において国税当局が算定した昭和六一、二年度の所得額も他の所得課税において算定される場合の所得額より過大になつている。国税当局は被告人の所得額を算定するに当たつてまず昭和五九年末に存在した被告人および同人の家族名義の株式の取得価格による評価を行ない、その価額の総額を四億三、二八七万余円と算定した(検甲第三号証二四ページ各年末の残高の59・12・31現在の金額の合計欄参照)。これは昭和五九年末の時価で評価すると約五億三、〇〇〇万円であることに比べほぼ一億円低いし、前述した昭和五九五月九日現在における被告人と家族名義の株式の時価額である五億一、五五八万円と比べても八、二〇〇余万円低いものである。
取得価格による評価額が低いのは、被告人および家族名義の株式中に多数含まれていたところの過去一〇余年にわたる期間中に取得した株式の取得価格がきわめて低額であつたことによるものである。
国税当局は昭和五九年末に存在した株式のこのような低い評価額を基礎として昭和六〇年以降三年間の株式売買による損益額を算定しているのであるが、この算定方法によると取得時から昭和五九年末まで長期間に亘つて生じていた価値の増加分(評価益)を含めた多大な利益額が売買益として算定されることになる。
これでは有価証券の譲渡益が事業所得とされる場合に当該年度初めの時価を基礎として売買益を算定するのと比べても、また前述した譲渡所得(特に長期譲渡所得)として課税される場合に、利益額の二分の一のみが課税されるのと比べても、所得税額が過大に算定されることになるのである。
昭和六〇年度の株式売買においては実際には八千万円に近い損失が出たために、国税当局がこのような低い評価額を基礎として算定しても前述のごとく三、五九〇余万円の損失が同年度に出たものとされたが、翌昭和六一年度の利益額の算定においては、年度を超えた損益通算を認めないがために、昭和六〇年度に生じた損失はまつたく顧慮されないばかりか、損失を出す原因となつたところの低落した価額で買い替えた株式の低い取得価額を基礎として同年度の売買益を算定した結果、三億二、五三四万余円という多額の利益が出たものとされたのである。この所得額は、事業所得その他の年度を超えて損益通算を認める場合の所得額に比べ多大なものである。
翌昭和六二年度の利益額も四億一、四五八万余円という多額なものが算定されているが、この中にも昭和六〇、六一年度の利益額と同様に過去一〇余年に遡つて取得した株式の評価益と昭和六〇年度に取得した株式の低い取得価額を基礎として算定した過大な利益額が含まれていることは言うまでもない。
所得額が過大であるとそれに対する課税額は既に述べたように累進課税の結果極端に過大になるのであつて、本件で国税当局が算定した所得税額が総額で四億円を超える巨額なものになつているのは右に述べたごとき過大な所得額算定によつて生じたものなのである。
(3) 被告人が四億円を越える巨額の所得税をほ脱したものと原判決が認定しているのは誤つており、ほ脱税額は僅少なものであること
所得税法に定める刑罰法規の保護法益は、言うまでもなく国家の税収を確保し、国家財政の安定を計ることにある。
したがつて一般的に言つて課税最低限を越える所得を秘匿して納税を免れんとする行為は、国家の税収の確保を阻害し財政の安定を害うものであるから可罰的なものであり、秘匿した所得の額が大きい程罪責も重いということができるであろう。
しかしながら本件で問題とされている有価証券の譲渡益に対する課税については、その課税の方法が前述のごとく他の所得に対する課税方法と比べて極めて特異なものであるために、他の所得の場合と単純な比較を行つて可罰性や罪責を論ずることは妥当でない。
しかるに原審においては右述のごとき有価証券の譲渡益課税の特異性に対する認識がないままに、他の所得の場合と単純な比較を行つて可罰性や罪責についての論議がなされているのである。
その論議の誤りは「ほ脱税額」および「ほ脱率」の認定に現れているのである。原審裁判所は「ほ脱税額」ならびに「ほ脱率」に関する検察官の論議をそのまま受け入れて、「被告人が昭和六一年および同六二年の両年度における総所得が合計七億五、一四二万七、四七二円であるのに、この内の有価証券の売買による所得をすべて秘匿し、右二年分合計四億五、八六三万七、四〇〇円に達する巨額の所得税をほ脱したもので、ほ脱率も同六一年度につき九九、九パーセント、同六二年度につき九九、八パーセントと極めて高率であつて、右ほ脱額およびほ脱率のみからみても犯情甚だ重いものといえる」と述べている。
しかしながらこの認定によるところの四億余円という巨額の税額に問題があることは右に述べたとおりであるが、それはさておいてもこのような論議はおかしいのである。
本件では、昭和六一、二年の各年度に被告人名義で行われた株式の取引回数はいずれも五〇回未満であつてその売買益は非課税である筈なのに、被告人の家族名義で行われた取引と奥村和茂および山本和夫の他人名義で行われた取引をいずれも被告人名義の取引と看做してその回数を加えると右各年度の取引回数が五〇回を越えることになり、継続的取引と看做す基準を充すことになる。その場合右各年度において生じた利益は本来非課税たるべきものまで含めて所得課税の対象とされて了うのである。
このような課税の仕方は他に類を見ない不合理なものであつて、本来非課税たるべき被告人名義で行われた右各年度の株式売買益は所得課税の対象からはずすべきである。かりに所得税法上このような不合理が許されるとしても、刑法上の評価においてはかかる不合理を是正して判断がなさるべきである。
そもそも本来非課税とされている所得については国家はそれから何らの税収も期待しておらず、期待しえないものである。
国家が期待せずまた期待しえない税収はこれが得られないからと言つて国家の財政の安定を害うことにはならない。しかしてこのように所得税法の定める刑罰法規の保護法益を何ら侵害していない行為に対して罪刑を論じ罪責を問うのは刑法の基本理念にそぐわない。
したがつてこのような観点から見ても原審裁判所が本来非課税となるべき株式の売買益を含めた金額を被告人が秘匿したかのごとく述べているのは誤りである。
ところで家族名義の取引による売買益は前述したとおり被告人の取引による売買益と看做すことはできず、これに対する税額を被告人の「ほ脱税額」に加えることは許されないし、この売買益も本来非課税所得であるから、昭和六一、二年度中に被告人名義で行われた取引と家族名義で行われた取引による株式の売買益として国税当局が算定した総額七億二、五九一万余円(別紙2の表1参照)に上る売買益はいずれも本来非課税所得として刑法上もこれらの所得を罪刑の判断に加えてはならないのである。
したがつて原審裁判所がこの非課税所得たる七億二、五九一万余円を被告人が「秘匿した」とする所得金額中に含めてその多額なることを論じ、右利益額にかかる所得税相当額を含めた所得税額を「ほ脱した」として非難し、あたかも被告人が国の財政に対して巨額の被害を与えたかのごとく述べているのはまつたく当たつていないと言わなければならない。
そもそも被告人本人の名義で行われた株式の売買取引は白日の下で行われたものであるから、同取引による利益額を「秘匿した」という表現はまつたく当らないのである。また被告人の家族名義の株式の売買取引による利益額も同様に「秘匿した」ものではなく、その利益額に課せらるべき所得税相当額を「ほ脱した」ことにはならないのである。
ただ奥村和茂と山本和夫名義の株式の売買取引による利益額については「秘匿した」という非難が当るかと思われるが、この両名の名義の取引による利益額はすでに述べたように昭和六一、二年のいずれについても僅かなものであり、この両名の名義の株式取引による利益額を被告人の昭和六一、二の各年の利益額に加えて修正した所得額に対して課せられるべき所得税額は別紙2の表2に示すとおりであつて、その二年分の総額は一、〇二七万余円である。
しかして右修正所得税額と被告人が確定申告により納税した所得税額との差額が本件において「ほ脱された税額」というべきものであるが、その各年度毎の金額は別紙2の同表に示すとおりであつてその二年分の総額は七三二万余円に過ぎず極めて僅かなものである。
5.本件と同種事案に関する判例からみた量刑の不当性について
(1) 検察官提出にかかる判例(検甲第31号~41号証)はいずれも不適切であること
前項で論じたとおり、有価証券の譲渡益に対する所得課税は特異なものであるから、他の所得との課税方法上の差異を省みないで単純に他の所得の「ほ脱」事例の所得額や所得税額と比較して罪責を論ずることは、所得課税制度の内部に存する不均衡やひずみをそのまま罪刑の場に持ち込むことになつて、不当に罪刑の均衡を害う結果になるのである。したがつて所得課税制度の内部に存する不均衡やひずみの内容を分析し、充分にこれを理解することなく表面的な比較を行つてはならないのである。
本件において被告人に対し問責さるべき所得の秘匿行為は、別紙1の表2に示したごとく奥村和茂と山本和夫の両名義を用いて行つたところの僅かな回数と僅かな利益の隠蔽行為であるが、その悪性は些少であつて同じ行為が他の所得について行われたとしても、それによつて「ほ脱」される税額は僅かなものにすぎず、その罪責はさして問われない筈のものである。
ところが本件においては有価証券の譲渡益課税の「ひずみ」により、このような悪性において些少な行為が、本来何ら咎められることのない取引行為によつて生じた非課税たるべき利益にまで拡げられて不当なまでに膨大な税額に対する税法上の責任を被告人に負わせる結果を生ぜしめたのである。
しかしながらそのような結果に対して刑事責任を負わせるのは他の刑責との比較から言つても不当である。
被告人が本件において問責さるべき所得の「秘匿」行為によつて「ほ脱」された税額は、他の所得の場合との比較論からも「秘匿」行為から生じた利益に対し本来課せらるべき税額と見るべきであるし、またすでに述べたように保護法益に対する侵害の有無を論ずる上から言つてもこれと同じ結論に到達するのである。
検察官は国税当局が算出したところの「ひずみ」の化現たる四億円余という巨大な税額のすべてを被告人が「ほ脱」したという前提に立つて、原審において多数の判例を(検甲第三二-四一号証)を資料として提出しているが、これらの判例は「ほ脱」税額が二、三億円を超える事案に関するものばかりであつて極めて悪性の強いものであり、本件の先例としての価値を有しないのである。
この判例の中には有価証券の譲渡益にかかる脱税の事案が一件含まれているが、同事案は証券会社の役員の地位にある者が多数の他人名義を用いて証券取引法により禁じられているいわゆる「手張り行為」を行ない、四億円余の所得を秘匿したものであつて、この場合秘匿したとされる四億円余の所得は本件と異なりすべて他人名義を使つて文字通り「秘匿」したものであるし、証券取引法違反の罪責も併せて評価されて実刑とされたのであるから、本件に対する適切な先例とは言えない。
以上のごとく検察官の提出にかかる判例はいずれも本件と異なる事案に関するものであるから適切ではない。
(2) 本件と同種事案に関する適切な判例が他にいくつか存在すること
本件と同種の事案に関する判例は他にも多数存在するとは思うが、判例時報一、二八二号一六九頁掲載の判例(神戸地裁昭和六二年(カ)第一〇四一号、昭和六三年六月二七日判決)と月刊雑誌「税理」三二号一一巻所掲の「脱税の手口からその心理を探る(その一〇)株式取引」と題する判例紹介記事の中の事例7として記載されている判例などは、犯情はいずれも本件より重いものの本件と事案の内容が類似していることからして、本件の先例としては検察官の提出にかかる判例に比べより適切なものと考えるので、本審において資料として提出することにする。
(3) 他の同種事案に関する判例からみても本件における量刑が不当に厳しすぎること
右に挙げた二つの判例のうち第一のものは、昭和六一年度の有価証券の売買益八億一二二万余円を秘匿し、五億五、三六八万余円の課税を免れたという事例であつて、懲役二年、執行猶予三年、罰金一億円の判決を下したものであり、第二のものは、昭和五九、六〇の二年間に得た有価証券の売買益六億三、四八四万円を仮名や他人名義を含む計三四の口座を使つて秘匿し四億九三一万円の課税を免れたという事例であつて、懲役一年四月、執行猶予三年、罰金七、五〇〇万円の判決を下したものである。
これらの事例において、はたして有価証券の譲渡益課税の特異性に対する省察が加えられたかどうか不明であり、その点で批判の余地のあるものとは思うが、これら二つの判決は本件に関する原判決の内容と比べると、刑の量定そのものは原判決とさほど大きな差異はないものの、いずれも執行猶予を付している点において原判決と質的に異つているのである。
したがつて、これらの判例に照らしても原判決の量刑は執行猶予を付していない点において不当に厳しすぎると言うべきである。
第三、刑事訴訟法第三八二条の二第一項に該当する事実があること
1.第一審の弁論終結前に取調べを請求することができなかつた証拠によつて証明しうる事実(主として情状に関するもの)について
(1) 本件における株式売買取引の態様が、決して原審の認定するごとき「計画的かつ巧妙で悪質なもの」ではなかつたこと
原審で提出された証拠からは充分に窺えないことであるが、被告人は地元の中学を卒業し、そのまま親の家業を継いでこつこつと今日まで地元の地域社会とのかかわりの中で人生を送つて来た人物であつて、経済の複雑な仕組みや法制度に対する深い理解がある訳ではなく、本件で問疑されている株式取引についても、証券会社の勧めるままに取引を行つて来たのである。
被告人は国税当局の取り調べに対して株式の取引は被告人みずからの判断で行つて来た旨の供述をしているが、確かに本人の決断を俟つてすべての取引が行われたとはいうものの、その決断をさせるために証券業者は毎日の如く被告人に情報を伝え、取引にまつわる諸制度の説明を行い、被告人の自宅にまでしばしば赴いて取引の勧誘を行うなど、被告人を積極的にリードして取引を行わせたのである。その結果取引回数が昭和六〇年以降極端に増える結果となり、本件の問疑を誘発することになつたのである。
この辺の事情は昭和六〇年一一月以降同六二年の一一月に至るまでの二年間野村証券豊橋支店の支店長として被告人の取引を実質的に担当した大場栄三が作成した上申書(本審において証拠として提出するもの)中に詳細に述べられている。
同人の上申するところによると、被告人は取引回数をくぐるために他人名義を乱用して多数の取引を行つたり多額の利益を隠したのではなく、むしろそのようなことを意識的に差し控えていたのであり、確かに奥村、山本など他人名義を使用した逸脱行為はあつたものの、これらの名義で行つた取引の回数も取引額も前述のとおりいずれも極く僅かなものである。
したがつて本件における被告人の行為が原審裁判所の認定するごとき「計画的かつ巧妙で悪質なもの」ではなかつたのである。
(2) 被告人は過去において豊橋税務署から優良納税者として二度も表敬されているほか、被告人が行つた社会的な貢献に対して多数の表彰状や感謝状が同人に与えられていること
被告人は長い期間に亘る地域社会での生活の中で極めてまじめに事を処し数々の社会的な貢献を行つて来ており、家業の経営に関する納税も正しく行つていたために、所轄の豊橋税務署から二度も優良納税者として表敬されているし、消防団員としての活動や地元商工会での活動等に対しても数々の表彰を受けているのである。
(3) 本件の原審判決の結果に対し在郷の各層の人々から刑の軽減を求める嘆願がなされていること
また本件に関して原審判決が出た直後から被告人の刑の軽減を嘆願する声が町議会議長、副議長をはじめ在郷の各層の人々から寄せられており、その嘆願の理由は本審において証拠として提出する多くの嘆願書中に記載されている。
2.第一審の弁論終結前に証拠の取調べを請求することができなかつた理由について
(1) 国税当局による調査が進む過程において、銀行、証券業者ならびに税理士から、「起訴され有罪となつても必ず執行猶予がつく」と言われたこと
本件に関する国税当局の調査は昭和六三年の九月に始まり、翌年三月一四日までほぼ六ケ月間継続し、その間被告人は当局から七回にわたつて取調べを受けたのであるが、取調べが進行するにつれて問疑の内容の重大なことが分つてきたために、取引銀行、証券業者ならびに顧問税理士から取調べが発展したのち被告人に対して当局がいかなる処置をするのか尋ねたところ、その意見はいずれも「起訴され有罪となつても必ず執行猶予になるだろう」というものであつた。
(2) 国税当局の査察担当官からも「執行猶予がつくことは間違いない」と教えられたこと
被告人はこの意見を聞いて安心し、その後の国税当局の調査に協力するとともに、課税所得の範囲などに関する当局の見解に不満はあつたものの当局の指示するとおり所得の修正申告を行い、追加分の所得税も納めて当局との紛議を避けることにした。
当局の調査がほぼ完了に近づいた平成元年三月一四日被告人は自宅に名古屋の国税局の査察官である日角正治、伊藤君夫、および高橋雅登の三名の訪問を受け、最後の調査が行われた。
その調査が終つた際被告人はこれらの査察官に調査終了後被告人に対しどのような処置がなされるのか尋ねたところ、三名の中の上席の日角正治査察官が「起訴されて有罪となり、懲役と罰金の刑に処せられるだろうが、執行猶予になるであろう。裁判も争わなければ三、四回の公判ですむ」と述べたので、被告人はこの話を聞いて安堵した。
(3) 被告人は狭心症を患つておりしばしば発作が起こることから、周囲の人および査察担当官から聞いた「必ず執行猶予がつく」との言を信じ、実刑にならない限り多少の不利は甘んじても争うことにより興奮して血圧が上るような事態を避けたいと考えて、国税当局の見解に対して論争せず、また原審の公判においても事実関係の争いを控えるとともに情状に関する証拠の提出も控え目にしたこと
その後本件は起訴されて原審の裁きを受けることになつたので、被告人は弁護士に対し事実関係を争わず、早く裁判が終るように頼み、原審における弁護人は被告人の右依頼の主旨を体して事実関係を一切争わず、証拠の提出もできるだけ差し控えた。
被告人が国税当局の課税方針に異議を唱えず、その指示の通り所得税を追納し、また原審で右述のごとく事実関係を争わず証拠の提出をできるだけ差し控えた理由は、被告人が狭心症を患つていて、争へば神経の昂ぶりや血圧の上昇を招き発作が起こるであろうことを恐れて争いを避け、早期の裁判の決着を願つたからである。
第四、結語
1.量刑が軽減されるべきことについて
本件事案が有価証券の譲渡益という所得課税の中でも特異性のある所得に関する事案であり、他の所得の「ほ脱」事例と表面的な比較をして罪責を論ずべきでないことはすでに述べた通りであるが、本件において被告人が「秘匿した」と看做すべき所得の額も「ほ脱した」とみるべき所得税額も前述のとおり些少であるから、その罪責は軽減なものと言うべきである。
この点を考慮すると、原判決の量刑は厳しすぎるものであつて大巾に軽減されるべきである。
また所得課税制度の「ひずみ」から国税当局が被告人に課した所得税額は四億余円という巨額なものであるが、その過半に当る金額は本来非課税たるべき所得に対する課税額なのである。
本件において被告人は、国税当局の指示どおりこのような本来非課税たるべき所得についてまで所得税を納付し、国家に対し国家が期待しえなかつた巨額の税収を得させて財政を大いに助けたと言えるのである。
原審裁判所は被告人に罰金八、五〇〇万円を課しているが、これは他の所得課税の「ほ脱」事案の例に引かれて査定した多額にすぎるものである。
被告人にこの上このような多額の罰金を課するのは妥当でない。
したがつて原判決の量刑は全体的に見直さるべきである。
2.執行猶予が付されるべきことについて
本控訴趣意書で述べた罪責に関する諸般の事情と、本審において主張し立証する被告人の情状を参酌し、執行猶予が付されるべきである。
以上
別紙1
検甲第3号証(記録書第196号)記載の株式の売買損益のうち被告人の損益と認定された家族名義および他人名義の売買損益の明細
表1.被告人の家族(天野英一郎・同祐二郎・同晶子・同なが・同幸子)
名義の株式の売買損益
<省略>
表2.他人(奥村和茂・山本和夫)名義の株式売買損益
<省略>
表3.表1および2の合計
<省略>
別紙2
表1.被告人名義の取引による売買益と家族名義の取引による売買益の総額の明細
<省略>
表2.奥村和茂・山本和夫名義の株式の売買益を加えて修正した所得税額
ならびに「ほ脱税額」の明細
<省略>